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第2回 | |
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■ 闇のダンジョン 大阪・地下鉄御堂筋線動物園前、立ちそびえる塔とまとわりつくジェットコースター・レール。大階段による入り口は、水しぶきとおおいかぶさる波と海の色、生命の宿りの色。でも、そこには既に光が注いでいて、もう海面すれすれ。命は暗い海のそこから始まっていたけれど、フェスティバルゲートの導入は、生まれ尽くした命の泡が無数にも無数にも湧き上がるところから始まっていく。 それは始まりの建物ではなく、命の創世でもなく、使いふるされ、語り尽くされたお話が無数にも無数にも、一段落してしまった空気に、もう一度風を吹き込もうとしている。 ![]() 「若い者」という言葉が常に時代を経ながら語られてゆくなか、若い者は迷走もするもの。豊満な営みを享受できることを、どえらいことだと認識もできよう。豊満に満たされた世俗に対して、新たなものを生み出せないと見るや、物事を「提案」することに転じる若者もいる。むしろそういう2次的副産物的な営みに活路を見出していくことも、一種のオシャレとして営まれることも少なくない時代だろう。 時代錯誤は、試行錯誤の産物。時代、色彩、方向感覚、これらが混乱した造形は見事なダンジョン。嘘みたいな、嘘でないそのさまよいは、「捨て身のダンジョン」の名誉に値する。命は時として、捨て身で前に進もうとする。その人たちにささげられる、「捨て身のダンジョン」。ビルの上に観覧車を乗せたり、このフェスティバルゲートにジェットコースターがあったり、「そこが大阪らしい」とはよく言われることだが、そんなに器用な話でもない。むしろ、「ここは遊園地なんですから、ジェットコースターがないと格好がつかないでしょうが」という程度のもので、それを反骨心だとか大阪の意地だとかに持ち上げるのも、面倒な話。 フェスティバルゲートは「捨て身のダンジョン」。でもそれは、中で探検ごっこができるとか、仕掛けがあるとか、そういうことじゃない。作られ方がダンジョンなのだ。作った人が血迷っていて、企画した人は右往左往していて、そう、作られた過程そのものが迷宮。混乱しているが、だが不思議なことに悲壮感がない。前を向いているということか。だがここはあえて「闇のダンジョン」なのだ。断じて「希望のダンジョン」なのではない。考えてみよう、希望に満ち溢れた若者が、この現代において「クリエイター」になりたがるのだ。そのための学校が溢れ、ある作家が世に出るまでのプロセスそのものを商売ラインに乗せて、模倣させることもしばしばなのだ。しかし人間はそして作家性は、つねに激烈な想いと共にあった。建築家であろうと画家であろうと俳優であろうと、場所や歴史の道筋から逸脱したところで作家しても仕様がない。時代と、そして人間と、その悲しみや辛さから受ける悔しさや悲哀から逃げず、向き合ったところで戦っていた。 ![]() 当の「捨て身のダンジョン」の近くには、二つの大きな物語がある。それはかつて労働者達が暴動を起こした西成・愛燐、そして赤線時代の栄華を誇った新地、飛田。 いまや、一般の眼を引くことは少なくなったかつての艶街・飛田も、街灯を立て、自動車が入りやすくして、いろいろ頑張っている。そこから1キロと離れない場所に、かつて平安京のシンボルゲートであった羅城門のごときフェスティバルゲートは「ここまでが洛中。ここからは洛外。」と線をひきたいかのごとく、暗がりが勝ってきた日暮れ時に、煌煌とその姿を闇夜に映し出す。芥川の小説では、その樓の上では老婆が死骸の髪の毛を抜いていた。生きるため。のっぴきならないところにいて、のっぴきならない状況をどうにかしようと。洛外に住みたかったとか、その際に住みたかったというわけでなかったとしても、ある日突然線引きはやってきたのだ。豊臣秀吉がとつぜんやってきて、その線を引いてしまったからしょうがないのだ。洛外になったから家は建たなくなってしまった。田園になった。しかしそれを口惜しいとおもうだけでなく、したたかに葱を植えて育ててみた。今では立派な九条葱として京都の"名産物"などと呼ばれてしまっている。最初に植えた人からしてみれば「もう、勝手にしてくれ、生きていくために植えただけだぜ。名前についちゃあ、何も提案しちゃいねえよ」というところだろう。 風俗街としての役割を、現代の繁華街に奪われ、その存在も地図からは消されてしまいそうな勢いの新地。その中を貫く、時代にそぐっているとはいいにくい商店街とその行き交い。しかしそこも、ダンジョンなのだ。強力な想いが込められている。人がここに来るように。いろんな縁が生まれるように。そう、ダンジョンとは本質的に、人が来るところなのだ。そして皆を試しているのだ。罠があったり、他の部屋のスイッチ押さないと進めなかったりするのをダルいと思わずに、きちんと見据えてゆく者に、本質的なものに触れる資格があるのだということを。 古き時代を見つめなおす、などと言わなくていい。ただ、汚れさび付いたスイッチを、少し押す必要はあるのだ。フェスティバルゲートはそれを思い知らすダンジョンだ。第一回が直島コンテンポラリーミュージアムだったから、安藤忠雄を巡る旅かというとそうではない。安藤忠雄はあえていうならレベル7くらいだ。まだ早い。安藤建築をクリアするためにはまだまだアイテムが足りないのだ。安藤建築は言うなれば「建物と周りの風景との心のセックス」。フェスティバルゲートはもっとプリミティブだ。歴然とした肉欲との際にあるのだから。なんだか物怖じしてしまいそうだが、フェスティバルゲートの南側にきちんと目を向けてはじめてボスの部屋に入れる。それをクリアさせるためにレベル1のダンジョンでこういうことを練習させているのだ。 フェスティバルゲートでパフォーマンスをしようとおもうなら、なぜフェスティバルゲートがフェスティバルゲートになってしまったのかを自分で考えてみたらいいだろう。たしかにそこより南には、くいつめた人たちがくいつなぐために営む世界があるし、それ以前から普通に暮らしている場合もある。人間の基本的な欲望を満たすための性商売だってある。ステレオタイプで言えば、それとてくいつめてしまった上での人身売買に立脚していた歴史もあろう。実際の経営母体がそういうつもりなのかは知らないが、知ったところで僕の言うことは変わらない。なぜ、その場所にそれができたのか。創作者を目指す若者は、このダンジョンをくぐりぬけよ、という思し召しだ。つまりこのダンジョンは、フェスティバルゲート・飛田新地・ジャンジャン横丁・飛田商店街・釜ヶ崎、という各種建物と街並みによって構成されたダンジョンなのだ。レベル1なのに凄い仕掛けだ。1回ダンジョンに入って、一回外に出て、他のところの謎をといてから、また戻ってくる、という解き方はレベル3くらいはあるダンジョンだ。 ![]() 今日、樓は「音楽発信地(守衛のおっちゃんの言)」として、ある種の表現空間として、「Bridge」という名をあてられた。のっぴきならない状態ではないにせよ、何かを産み落とそうとしていることに違いはない。羅生門ではあまり先のなさそうな空気がその空間を支配していた。フェスティバルゲートでは前だけを向いたような上る感覚だけのような、浮遊感のある"マイナスイオン"が充満している。「生きる」ことを、その時間を連ねるため頼みの場所は、人々の願いを殺しもし、死骸も出る。 歌う。作る。踊る。演じ戯れる。そしてそれを見るものがいる。色欲との際にあるこの門では、一歩外に出ることも、一歩後ろに引くことも、その行動はダサいだろう。出来ることは、突き抜けること。何に出くわそうと、鬼が出ようと蛇がでようと、踏み潰してでも、けり倒してでも、自分は何かで生きることを連ねればよい。 インタラクティブだ、なんていい方をしなくていい。ただクリエイタとリスナが渾然一体と向き合えばいい。ダメなものはダメといえばいい。 時代を否定することは容易だ。しかしこれまで積み重ねられてきた建物、そして街を踏み越えて、次のステージに進むには、やらなければならないことがある。面倒だけど、扉をあけるには、別の部屋にいって、謎を解くのだ。 フェスティバルゲートを欺瞞の建物だ、と言ってしまうこともできる。周りの環境と調和していない、と言うこともできるだろう。だが、フェスティバルゲートは祈りの場所ではない。遊戯の場所だから。後ろ向きな遊戯はない。どんなことであれ、本当に楽しそうになんでもできるのが人間らしさだ。創作も殺人も。その本質から逃げないで。 いまこの世において、作り尽くされ、語り尽くされたものをもう一度やることしか、我等の世代にはやることはないのだろうか。作ってゆく、建ててゆく経過の中での苦しみや絶望ではなくて、始める状態が既に絶望的。だからこそ、ここで何をするかが問われる。生と死の際。そういうときに、明るいものだけ作っても建てても、謎は解けない。そう、オシャレなことをやりたいのなら、オシャレじゃないものを何故自分が否定したうえで行動を起こすのか、それが申し開きできなくてはなるまい。ただ新しいものがいいとされるのは、学会だけで閉鎖する工学系の研究か、馬鹿馬鹿しいやり方でのファッションブランドの追跡ぐらいだ。 願わくば、死骸をも越えて、闇へと切り込んでゆく若者が、この中から生まれ出んことを。綺麗な、かわいい、オシャレなものは、同時に様々な現実臭い、目を背けたくなる、逃げ出したいようなものや場所を一旦否定する「提案」にもなっていることを忘れずに。行く先は、作り手たちの闇と絶望の境地、すなわちクリエイタの達する地平。その行く手は、闇のダンジョン。クリアしなくては、ゲームオーバー。 |
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