第2回
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■ パオーン

「夕日の星」には禁じ手だと怒られそうだが、今回だけはこの件に触れさせていただく。

みなさんは「パオーン」をご存知だろうか?

「パオーン」の本名は「PAO−Nぼくらラジオ異星人」。
KBC(九州朝日放送)ラジオで1983年から7年間にわたって放送された若者向けの深夜番組だ。
この局には、すばらしいアナウンサーがそろっていて、その双璧をなすのが、和田安生とその同期の沢田幸二である。そしてパオーンのメインパーソナリティを務めていたのがこの沢田幸二(通称:沢田さん)だった。実際には番組開始時から数年は、日替わりのパーソナリティだったらしく、沢田さんのみとなったのはその後だそうだ。わたしがパオーンと出会ったのは中学1年のときで、番組が終了したのは中学を卒業するときだから、つまり文化的に開発されるたいせつな3年間に、パオーンのラスト3年間拝聴したことになる。月曜から金曜の深夜という貴重な時間帯に、わたしたち当時の中高生は、友だちと遊ぶでもなく、テレビをみるでもなく、その番組に釘付けになった。
実際に30歳代の福岡人に「パオーンききよった?」とたずねれば「あぁ、もうおれ沢田さんの大ファンやった」と話に火がつくか、「あぁ、ききよらんかったー」と悔しそうな顔をするかで、「知らん」は(ほぼ)ありえない。全国的な位置付けになぞらえると、「北の国から」にあたるだろう。そのくらいに知名度の高い番組だし、20歳代でパオーン話ができれば、「ちょっとできる奴」のお墨がついてしまう。山笠の赤てのごいくらいなステイタスは約束されるはずだ。パオーンリスナーとしては、かなりジュニア立場なため、話題に火がついてしまうと、ちょっと肩身が狭い思いをしてしまうのだが。

もしも福岡の30歳代に物足りないものを感じたとしたら、理由はこうだ。
彼らはパオーンリスナーで、深夜にラジオにかぶりつきだったため、外で悪さをすることはなかった。そして番組が終了してからの13年間、パオーン以上に心を熱くさせるものがなかったため、突然消された火がくすぶり続けているという状態である。彼らは、純粋にパオーンをきいて楽しんでいた受動的なリスナーである。
もしも福岡の30代にはじけたものを感じたとしたら、理由はこうだ。
彼らはパオーンリスナーだが、はがき職人でもあった。番組に能動的に参加していたのだろう。採用されていたら(特に「わけありベストテン」入りなんかしていたら、山笠でいう台上がりくらいな存在)その時点でクラスのヒーローだし、もし採用されていなかったとしても、パオーンのともすればくだらないのりをよしとして積極的にそれを披露しようという姿勢を身につけている、ということになる。
そのくらい人生に影響を与えてしまう番組だったのだ。
そしてパオーンの人気は、沢田さんの全国レベルというか世界レベルなしゃべりに拠るものが大きい。もちろん現在のテレビ番組で(テレビ番組で、というのがすごいでしょ)たけなわになっている企画のパイオニアともいえるコーナーが林立し、はるかに独創的なスタイルで放送されていたこと、そしてそのことが沢田さんの話し手としての能力を限界まで引き出していたということはいえる。が、彼なしではパオーンの復活はありえない。
復活?
そう、この春、3月31日にパオーンは復活する。正確にいうと、今日、この原稿書いている時間、福岡では生でオンエアされていて、うちの母親が全3時間をテープに録音している。3年前に終了した地方局のラジオ番組が復活するのだ。これは、全国放送の人気番組の復活や、アメリカドラマの深夜放送、J−POP歌い手たちによる昔のヒットソングの焼き直しとはいっしょにしてはいけない。21世紀最大のニュースだ。
どんな辛いことがあっても死ななくてよかった、福岡を離れてしまったことを心から後悔しているけど、生きててよかった、と心からそう思う。
今日、初日。月曜日のレギュラーはおすぎだ。いまやおかまの枠を超えてかなりのハードスケジュールを抱えるはずのおすぎが、福岡のラジオ番組に毎週3時間生で出演するとはどういうことなのか。それを考えてみれば、沢田さんを知らない人たちにもその魅力が少しは伝わるだろうか。
夕日の星とわたしは、現在、この歴史的事件に東京生活を脅かされている。
われわれはやはり福岡の空に輝くべき星ではないだろうか、と。
首都圏在住者には「ローカル番組なんて」と鼻でわらわれそうな、しかもラジオ番組について、内容もうまく伝えぬまま「SPACEBUS CARAMELPOT」なんていう全国的なメディアをお借りして、語ってみた。
福岡出身者には、地元への固執的な愛着心をもつ人が多い。
また、福岡は東京の方を向いてばかりで、街自体もリトル東京に近づいている、といわれることもある。
地理的・歴史的に、福岡市曰くの「アジアの交流拠点都市」で実際にあったこともあり、他の文化のすてきなところはすごい勢いで吸収する土地ではある。しかし、あくまでも「大好きな福岡にこれがあったらもっといいよね」というスタンスだ。山笠がある限り博多の心はなくならない。
わたしは銀座の夜の街並みが好きだし、恵比寿でよく買い物をするし、築地の古くて小さなお店やおうちを見て歩く。
福岡では都会と呼ばれる場所がほんの数箇所に限られていて、人口も東京に比べれば少ない。つまり経済力が東京ほどないため、それほど多くの商業を支えることができない。古かったり、今風じゃなかったり、おいしくなかったりするお店はすぐにつぶれてしまう。東京にきてそんなお店が残っていることにびっくりした。こんなに魅力的な街並みは福岡には残ってない、と。福岡の人口がある程度だからこそ快適に街を歩ける、新しい文化や個性がいきなりメジャーになることもできる、安くておいしいお店が多い(これは地理的条件もあるけど)、なんていう魅力と懐事情の厳しさに、涙が出そうになった。
そんな福岡に21世紀初頭、パオーンが帰ってくる。
数ヶ月前、誰にも頼まれてないけど、福岡をきちんと認識し、もっとよくするためには他の土地での生活が必要なんだと理由付けて東京に出てきた魚の星。
魚の住むべき水はどこにあるのだろう。博多湾は魚を呼び戻そうとしているのだろうか。

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