第4回
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■ 星にミルクを

 生まれた後、涙をこらえながら、まず実家の親に電話を。「そうか。そうか。時間的に満潮だしよかった。。」何だか知らないけど満潮はいいらしい。そして、妻の飲み物を買いにコンビニへ行く途中に、用意していた「生まれました葉書」をポストに投函した。何と私は前日に準備していたのだ。普通は一ヶ月ほどして出すものらしいが、「善は急げ」(!?)である。そしてその葉書は翌日に親戚に届いた。「昨日生まれたばかりなのにどういうことだ」と苦笑していた。

 帰宅して今度は皆への「生まれましたメール」を。実はこのメールも前日に用意していて、本文、宛先全て決めていたので「送信」ボタンを押すだけだったのだ。30分もしないうちに続々と返事が届く。「おめでとう!」「立派なパパになってね」一言一言が嬉しい。

 翌日の朝、早起きして病院へ。会社はもちろん休み。病室へ向かう途中でガラス張りのベビー室に目がとまる。5、6人のベイビーが集団で泣いていた。テレビなどでよく見る風景そのものが今そこに。昨日生まれた子ども、ついさっき生まれた子ども。。肌の色、髪の毛、顔、体の大きさなど全く異なる集団だ。特に体重は2000グラムぐらいからその二倍近い子どもまで。。。ところで、僕の子どもがいない。名札付のゆりかごの中にいないのだ。ちょっと冷や冷やしながら病室へ入ると、子どもを抱いた妻がいた。よかった。。「抱いてみる?」「え?」オロオロしながら初めて子どもを抱いた。首が当然すわっていないし、とにかく触れるだけで壊れそうなほど全体が柔らかい。ずっと抱いているのが怖い。手放した後に怪我をさせずによかったと思わずほっとしてしまうほどだ。そうこうしているうちに両親もやってきた。とにかくうれしそうだった。エグチ家の後継ぎだ。本当に、本当によかった。

 妻はその後三日ほど入院していた。それにしてもその病院はきれいでサービスがよかった。少子化のため客獲得のために個人病院は特に気合が入っているように見えた。部屋一面はピンク色の壁で、設備が整った一人部屋で、出産・入院費は総合病院とほぼ同じなので私は個人病院をお勧めする。(誰に(^^;)?)


 生まれたての赤ちゃんの印象は、「とにかく大変」。何しろ2or3時間おきにミルクをほしがるのだ。夜中だろうと早朝だろうと。。。我が家では母乳半分、粉ミルク半分の「混合」だったので、休みの日には粉ミルクをあげるのを手伝った。哺乳瓶に粉ミルクとお湯を入れる。この時決してお湯を入れすぎてはいけない。かき混ぜるときにあふれてしまう危険があるから。哺乳瓶を振ってかき混ぜ、粉が溶けたらお湯を継ぎ足し、今度はそのミルクの温度を40度ぐらいまで冷ます。大きめの容器に冷水を入れて、哺乳瓶を浸すやり方は、氷水で冷やしてジュース類を販売する出店などでおなじみの方式だ。首のすわらない赤ちゃんを片手で抱き、片手で哺乳瓶を口にふくませてあげる。この哺乳便の角度が微妙で角度が大きすぎても小さすぎてもいけない。うっかりすると口からミルクがちょろちょろとこぼれてしまうのだ。どうやっても数滴はこぼれてしまうので口元に予めガーゼなどを置くことが多かった。

 飲み終わった後に「ゲップ」をさせるのも大事で、させておかないとミルクを戻してしまう可能性がある。子どもにゲップをさせることを私は得意としていた。立て抱きにして軽く背中をさすっていたら、「ゲップ」してくれた。食事の後皆に聞こえるようなどでかいゲップをするなど、大人ならレッドカードものだが、子どもには何でも許されるのだ。子どもの表情は乏しく、泣くか、泣いていないかのどちらかという感じ。寝たままで、決して移動することもなく、ただ、その場にいて、ミルクを欲しがり泣くか、落ち着いて寝るかという不思議な存在だった。


 
   ということで、寝不足になってしまうこともあったが、とりあえずは順調な子育てを始めたつもりだった。しかし、退院前に医者は子どもの、ある”異常”を見逃していた。私達も気づくことなく数日が過ぎた。それが検診で発覚したある日、自分達の薔薇色の世界はモノトーンへと変わった。しかし、当時は、そのことなど知る由もなかった。    

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