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第18回 | |
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| ■もう一度テレビに出てくれ!サハフ情報相 イラクのサハフ情報相の死亡情報が流れている。かなりショックだ。この頃、急激に少なくなったイラク戦を伝えるテレビを見ているだけで、彼の姿を追ってしまうので、もしも死亡情報が本当だとしたら、俺は泣くかも知れない。きっと泣く。 イラク戦争はアメリカ軍の一方的な勝利に終わった。敵軍と会敵する前に、相手の軍隊を徹底的に消滅させ、実際に人間同士が戦うのは、最後の手段。とまで割り切ったアメリカ軍の殺人兵器開発は実際、戦場で恐るべき威力を発揮した。 殲滅兵器と、機動力で圧倒的かつ合理的に敵兵力をぶっ潰す戦術を、莫大な予算と労力をかけて、永年、準備していた超大国の軍隊の前には、地域ボスにすぎなかった貧乏なイラク軍は、まったく歯が立たなかった。 アメリカ兵が一人戦死する間に、イラク兵はきっと1000人単位で戦死していたと思う。アメリカ兵との直接対決の覚悟を決めていたイラクの兵士がいたとしても、実際にアメリカ兵を殺せる距離になるはるか以前に、徹底的に爆撃を加えられ、わけがわからないうちに、肉体を四散させて死んでいった。イラク軍とアメリカ軍は、そのくらいの絶望的な、これは戦争ではなくて、なぶり殺しのような戦いだった。 大東亜戦争末期にアメリカに挑んだ日本軍よりも、さらに悲惨だ。 フセイン大統領よりも番組露出時間は長かった。 戦況がどんなに不利が伝えられても、彼はイラク軍の勝利とアメリカ軍の敗北を伝え続けた。特に、アメリカ軍がバグダットに侵入した四月七、八日の会見ほど彼の存在を伝説にした会見はなかった。 画面の背後にアメリカ軍の車両が写る場面でさえ、彼は会見し続けていた。 『バグダットにはアメリカ軍はいない。我が軍によって撃退された。みなさんはアメリカの欺瞞情報に騙されてはならない。自分の目で見てほしい。アメリカ軍はバグダットのどこにもいない。自分の目で見て、そして報道してほしい』 外国報道陣を前に、そう力説していたサハフ情報相。おそらくは、連日の猛爆撃で、指揮系統も寸断されて、政権主脳との満足な打ち合わせも指令もないまま、自分の独断で、イラク軍の勇戦を伝えていたはずだ。 僕は、彼の会見が始まると、仕事の手を休めてでも、テレビを見ていた。彼がまだ会見している。イラクは、まだ存在している。彼が会見を続ける限り。まだまだ存在している。 彼の会見の内容が真実であったかどうかなどは、すでにどうでもいい。イラクであろうと、アメリカであろうと、戦争中の日本も、自分の有利なように情報をあやつろうとするのは、どこもして来たことだから。 人間、自分の職務と立場にしがみつかなければ生きていけないこともある。彼は、イラクの情報相の立場を貫かないことには、自分自身の自我が崩壊するから、あそこまで、必死に『イラク軍は反撃している。勇敢に反撃し、アメリカ軍は撤退した』とまで、熱弁していたのだ。 民間人を巻き添えにして殺りくの限りを尽くすアメリカ軍の非道を非難し、イラク軍の健闘を称える! その姿勢に最後まで変化はなかった。そうして、四月八日、陥落迫るバグダットで『イラク軍は各地でアメリカ軍に打撃を与えている。首都からも撃退した』『われわれは敵を捕らえ破壊しつつある。彼らは降伏するか戦車の中で焼け死ぬ』とする、パレスチナホテルでの会見を最後に、我々の前から姿を消した。 彼がテレビからいなくなったとき。その時に、イラク共和国は存在することを停めたのだと、僕は思っている。彼が放送の中からいなくなった時に、イラク戦争は、すでに秩序を失った戦争となり、イラクという国家が消滅した瞬間だったのだ。 |
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どこにいったんだろう。サハフ情報相がテレビから消えた今。僕は、心の平安を乱している。とても不安である。どこかで彼が会見していないか。どこでもいい。海外のメディアでも、どこでも。天神FMでもいい。 サハフ情報相の消息 |
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