たくさんの人々が訪れるようになった結果。人々に土産を買わせる多様な売店がどんどんできた。その繰り返しの果てが、町の中に、きっと都会とかでもどっかでうっている『犬グッズ』『猫グッズ』『熊グッズ』の集積という、およそ最初には考えられなかった、町並みが形成されていったのだろう。
その異常ぶりは、冷静にならないと理解できないのかも。だって、たくさんの観光客が入っているから。観光地にそういう店が林立するのは、出店する側に問題があるのではなく、現代のわれわれが、そういう店の出現を、潜在的に望んでいる。そのことの証しなのかもしれない。
人々の欲求こそが、湯布院を今みたいな悲惨な異空間に変貌させてしまったのである。悲惨と感じているのは、俺だけだけど。
九州屈指の観光地に成長した湯布院を埋め尽くす、町の風景の異常さは、現代日本人が観光地に求める姿を体現したものであるのだ。でなければ、あんなけったいな店に、『うわあああ。かわいいいい』とか叫びながら、たくさんの人々が、入ったりしない。怪しいのは、観光地ではなく、湯布院でもなく、そういう町の出現を待っていた、我々自身であったのだ。
やすっちい喫茶店で、珈琲を飲み、チャラチャラなお店で土産を買ったりして、とっても楽しそうでは無いか。カップルで、シャガール美術展を鑑賞して、そこのカフェから金鱗湖をながめているカップルもたくさんいる。俺が気色悪いと感じている『民芸なんとか村』という土産物売店の集積施設だって、こんなにたくさん人が着ているではないか。
町中に突然ある、やすっちい鉄製のガーデン椅子セットにも、じいさんやばあさんが座って写真をとりあっていたりする。そうだ。みんな楽しんでいるんだ。異常空間なんて思っているのはきっと俺だけだ。
楽しめないのは、俺だけで、湯布院をおかしいと思う、己のほうこそ、ずれているのではないか!とほほほほほほほ。きっと、そうなんだ。