第17回
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■ 秋の、刀っぽい魚

 食欲の秋だ。
 別に性欲でも権力欲でも自己顕示欲でも、この際どんな秋だっていい。だが、今挙げた中で一番差し障りがない話題となれば、やはり「食欲」が妥当だろう。罪が無い。
 爽やかな、ほの冷たい風が清涼剤の如く街を吹き抜けるそんな秋だから、ダークサイド感満点のいかがわしい話題などは無しにしたいものだ。
 ベトつき、汗だらだらの汗腺全開的ギラギラしたクソ暑い夏はもう終わりを告げたのだ。
 日が高くてなかなか暗くも涼しくもなりやがらねえ、灼熱の夏。うっかり黒いTシャツを着て運動したが最後、噴出した汗が乾くや否や胸には白い線がくっきり浮き出る、夏。それを見ながら赤面しつつ、失った塩分と水分を補給しなくてはと焦燥感に駆られる、夏。
 いっそ開き直って「どうだ!! 俺はこう見えてもミスター塩田と呼ばれているんだぜ? 塩田ってわかるかい? ご存知ない? そうよ、それは塩の田んぼとでもいうべき・・・」などと誇らしげに講釈をたれて周囲に煙たがられたくなる衝動を抑えきれない、夏。
 やれ花火大会だのやれ日焼けだのやれ水着だのやれ露出度全開だのフェロモンだのヒトナツの恋だの、そういう嬉しくも気分はワンシーズン不夜城!!・・・という全身いきり立ちモードの夏は、終わったのだ。
 夏の扉は、閂を下ろされつつあるのだ。
 なれば、秋には秋の服、秋には秋の話題、だ。
 食欲の秋、グルメの秋。
 秋の喰いモンいうたら松茸、秋刀魚、栗が代表格。
 肉も好きだが魚も好きな俺のマストは、やはり秋刀魚。
 あいにくだが、松茸に心惑わされ、切に欲した事などない。
 網焼き秋刀魚も、いいもんだ。
 脂が乗った身に引火し、「焼いている」というより、どちらかというと「燃えている」というあのアグレッシブさがいい。ややもすると網に身が張り付いて、無理に引っくり返そうとして目も当てられない状態になるという、あのリスキーさがいい。
 秋刀魚、ときて、すぐに想起できるあのシチュエーション。
 そう、夕刻、赤く色づいた木々の葉同様に暮れなずむ秋晴れの空。降り注ぐ放射能・・・いや柔らかい夕日の光を浴びながら、七輪の上に乗っけた網でぶすぶすいってる秋刀魚の匂いといったら最高だ。
 ぶすぶす・・・か、フフ(焦げてるって)。
 家の庭で七輪で秋刀魚・・・そういうトラディショナルな秋の風物詩を実演なさっているご家庭というのはとうに死滅していそうだ。
 そういうのは今やCMかドラマの中での話だけになっていよう。
 だが、時代に即して変化した形で、この日本の得難い情景は息づいていたのだ。
 そんな洒落た秋的イベントを家族してアットホームな雰囲気で近所に見せびらかしてるご一家、幸運にも俺は目撃した。
 俺はそんなに光景に、お目にかかったのだ。いつもの駅から我が家への帰路途上でだ。
 それは土曜の夕方だ。結構佇まいのよろしい邸宅にお住まいの、中の上階級ぐらい(勝手に想像)のご一家である。
 住宅街には、えもいわれぬ焼き魚香が漂っていた。発生源はそのご一家の庭先から漂っていた。
 この匂いは秋刀魚だ。確実に。第一こんな時期にアジとかサバとか庭で焼いて喜んでいる輩などいない。
 垣根に阻まれてよくはわからなかったのだが、木々の間からは庭らしき空間が垣間見え、キャンプとかで使うようなバーベキューセットも見えた。バーベキューセットというのははなはだ落胆したが、まあさすがに今のご時世昔ながらの七輪でゴーとはいかないのだろう。楽しく談笑する人影。
 パタパタとウチワをしきりに扇ぐ音。秋刀魚の火がウチワに引火でもしてくれたら個人的に高得点なのだが、さらにそんな不測の事態にも怯まず「ホーラもみじだよー」と笑顔で言ってのけてくれたら馬の鞍と交換してもいいのだが、そんな急変事は起ころうはずも無い。
 あんまり覗くとストーカー呼ばわりされるので盗み見るという程度にし早々に切り上げたが、俺の脳味噌は疑いの余地のない、ほの焦げ臭い匂いにいたくご満悦だった。そして、この時点で、ああ秋が来た、と確信した。
 さらに、秋刀魚ってもう出回っているのか、と無知にも驚いたりもした。
 庶民のグルメ、秋の味覚、秋刀魚。この漢字が読めない奴は廊下で正座だ。
 俺は鼻腔をくすぐる秋刀魚香にじんときながら、堪らなく感動した。
 これぞ、日本の正しい秋のあり方なのだ、と。
 俺は拍手を送りたくなった。だが下手に実行に移してストーカーや変人扱いされるのはご免なので内心で一礼し、足早に立ち去った。
 今でも筋金入りの庭先秋刀魚焼きマニアが、日本古来の伝統の灯火を消さないために、秋となればいざ鎌倉と戦闘モード・オンになるのだ。体内のモードセレクターが秋刀魚庭先焼きモードへとシフトするのだ(決め付け)。
 高性能なガスレンジとかが一般に普及し、庭先の秋刀魚焼きという作業が頻繁に行われなくなった昨今であるが(今の住宅事情もある)、だからこそかえってレジャー化しているのではないか。秋のイベントとして充分成立するのではないか。
 日曜の夕刻に一家総出(もしくは友人同士で)で秋刀魚大会である。もうもうと煙を庭先で吹き上げながら、ややもすればご近所から赤い自動車を呼ばれそうなリスクを犯しての、秋的野趣満点のイベントだ(しかし雨天禁止)。庭付きの家でしか出来ないが、なければ気合で路上ゲリラ秋刀魚焼きはどうだ?(いけません)
 秋という季節に切り取られた一場面という感じで、実に微笑ましいものだ。
 実にいい。日本の秋ってやつを象徴する実に古典的で、実にステロタイプ的なシーンだ。七輪じゃなかったがな。日本人で良かったなあという罪の無いナショナリズムを図らずも喚起されてしまう。
 しかし、「いいなあ」というものを当事者でないない者が見ると、ふつふつと嫉妬心が沸き起こるものである。
 爽やかな秋らしからぬ、どんよりとした暗く激しいマイナスの攻撃意識が、心を蚕食する。
 俺は・・・俺は・・・この気持ちを抑えられない。
 で。内心で汚い言葉を、冠水したマンホールから噴水のように吹き出る汚水のように吐き出す。
 畜生、てめえら、そこで楽しげに秋刀魚つついてんじゃねえよ。見せびらかしてんのか、挑戦してんのか、秋刀魚なんざ家の中で喰えばいのにわざわざ庭先で喰いやがってそれで優越感に浸ってんのかこの野郎、それでささやかな選民意識に浸ってんのか、そうなのか。
 ざけんじゃねえぞ鼻持ちならねえ野外秋刀魚焼きマニアが、いいから俺も混ぜやがれっつってんだこの野郎!! それでそのてめえらのクソいけすかない暴挙ってのを帳消しにしてやる!!
 頭の中にはダースベーダ−が歩いてくるあのテーマが奏でられている。
 俺は秋刀魚の移り香を楽しみながら立ち去りつつも、内心で「焦げろ、焦げろ」と一心不乱に念じている自分に気づいていた。
 家に帰り着く頃には秋刀魚香もはかなくも消え去っていたので、生来の魚マニアたる猫に俺の感動を伝える事は出来なかった。
 うちの猫はドライフードしか食べないくせに、猫の本能というやつがそうさせるのか、焼き魚の匂いにはえらく敏感なのだ。しかし、食べない。試みに魚のおこぼれをくれてやっても、匂いを嗅ぐだけで喰いもしない。
 
 ともあれ。

 よし、俺も負けじと秋刀魚攻勢をかけるとしよう。
 羨んでるばかりでは建設的ではないし、精神衛生上よろしくない。
 野外で焼き秋刀魚という荒業はどだい無理な話だが、家でガスオーブンや無煙パンを使ってつつましやかにやる分、にはね。
 その時の、耐え難い誘惑の香りに猫が半狂乱になる様が楽しみだ・・・・フフ(またもや暗黒面)。
 とりあえず今後の目標は、近くのスーパーでゲットした塩秋刀魚を両手に持って
 「二刀流・イン・オータム!!」
 と猫を追い掛け回すぐらいだな(食べ物で遊んではいけません)。


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