第13回
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■ ファミコン狂時代

 夜。春風吹く、夜。

 風呂上がり20分後の俺はというと、ぬるくなったビールと、さも暇そうにあくびする猫を傍らに、一心不乱にファミコンに興じている真っ最中だった。
 
 2002年3月某日の話だ。
 
 繰り返す。
 ファミコン、である。
 ファミコンで遊んでいたのである。
 何も別にTVゲーム全般を「ファミコン」とひとくくりで呼んでいるわけじゃない。
 いわゆる栄光の「ファミコン世代」のこの俺が・・・俺が小中学生の頃にファミリーコンピュータはいうに及ばずセガマークIIIやスーパーカセットビジョン、スーファミ、PCエンジンまでなんでもかんでも「ファミコン」と軽蔑を込めて呼称していた大人たちと同じ轍を踏むわけがない。
 こいつは、まごうことなきファミコンだ。
 例の黒くてハードディスク標準装備、ネット対応のデカいXとかいう某なんか凄いゲーム機じゃないかって?
 笑わせるな。
 こいつはまごうことなき、ファミコンなんだ。
 画面を見な。チープだろ。
 さらに見ろ。ポリゴンとかそういうハイテク、無縁だろ。グラフィックもいたって二次元的。のっぺり感満点。
 ラッパー風に言うと、「ヘイ、メーン(平面)」である。
 これが、そのX箱とかいう置き場所にえらく困るごたいそうな代物だという奴がいたら、ここに連れてきな。
 あんた正気かって?
 俺は本気だ。ここの「本気」は「マジ」と読んでおいてくれ。
 俺は真剣にファミコンって奴にこうしてがっぷりよつに組み合って、組んずほぐれつしているんだ。
 このご時世にファミコンだなんて・・・か。お決まりの台詞だな。だが、俺はおふざけなんざしねえ。
 俺は燃えてるんだ、こうしてな。
 こうぐっと、コントローラーを握る。
 見えるかい? こうさ。ボタンにこう指を置く。
 どうだい、ほれぼれするほどに手慣れた連射体勢だろ。
 結構ブランクはあったが、年季が入っているからな。腕に自信ありって奴だ。
 いくぜ。目を回すなよ?
 画面に合わせて、
 敵弾を回避、回避、回避!!
 さしてブランクは感じない。体が自然に反応するもんだ。
 そして、ここだ。
 指先に神経を集中・・・そして、撃つべし!!
 そうするとよ・・・熱いものが体にたぎってきやがるんだよおっさんよ。
 だからさ、俺の余暇は、ファミコンで潰れている。そうなるのも、むべなるかな、なのさ。
 伝わるかい?
 このハートが。情熱が。
 見えるかい? あんたには。
 真っ赤に燃え上がっている俺の闘志が。紅蓮の炎って感じでメラメラとなんかイメージ化されてねえか?
 ファミコンって野郎は、実にいいもんなんだ。
 宿命のライバルに、ようやくまた再会できたような気がするんだ。
 このファミコン一式、最近某中古屋さんで買ってきたんだ。本体、カセット十数本と、一万とかかっちゃいない。大人の財力的に実にリーズナブルだ。
 ああ、そうだ・・・そういうこった。
 こいつは得難いライバルだ。宿命の、終生の、永遠の好敵手。俺を烈火の如く燃え立たせる対象。
 俺がさっきまでプレステ2で「鬼武者2」に興じてたなんて、細かい指摘はこの際なしにしてくれや。なんじゃこりゃあ。
 まあ、皆まで聞いてくれよ。
 普通に書き進めようとしていた俺が途中から「あしたのジョー」モードになっちまったのも、合点がいく話なのさ。

 では本題。

 子供のオモチャ。
 
 ファミコン以前は超合金、プラモデル、野球盤とかリカちゃんハウスとか、そういうのだった。まだまだある。戦隊ものの人形とが、円谷系のウルトラ怪獣ソフビとか、ミクロマンとか、ミニカーセットとか・・・。
 で、玩具売場。
 走り回る鉄道模型、陳列棚に所狭しと並べられたウルトラマン人形、ぬいぐるみ関係。歯茎剥き出しでシンバル叩くモンキー野郎・・・。
 それは夢の世界。大人にとっても、心楽しくなる空間だ。それも、可愛い子供と一緒なら。そりゃねだられる側としちゃ懐具合も気になるけど。
 そういう玩具たちは、出資者である大人たちが買い与えて、「もの」として実感、満足感がもてる存在感があった。
 やはり子供が喜んでくれるのが第一だが、お金を出す方としては、多少なりともそれが実感できる「買いごたえ感覚」ってのが欲しいもんだ。
 しかし、ファミコンのゲームソフト・・・当時の子供達の羨望と熱中の的だった「カセット」と呼ばれる代物は、そうではない。
 見た目、手の平サイズ程度かそれよりちょっと大きいぐらいの、なんの変哲もないパッケージ。この箱、チョコレートでも入っていそうななりだ。近所のスーパーのお菓子売場の棚に小枝とか一緒に並んでいてもよさそうだ。
 中身はといえば、電卓ぐらいの大きさの、ご存じのプラスチック製のブツ。愛想といえば、カートリッジ前面に張ってある、ラベルぐらい。その秘められたポテンシャルとは裏腹に、見た目、「玩具としての機能性、アピール性」まるでなし。そっけなし。
 コンピューターゲームに疎かった当時の大人たちにとって、面白味もへったくれもないなりだ。
 この小さな「カセット」の中に、溢れんばかりの夢が詰まっている事も知らずに。
 ま、無理もない話だが。
 これでは子供達に手を引かれてデパートの玩具売場に足を運び、「買って買って」とせがまれたお爺ちゃんお婆ちゃんは、そうとう当惑した事と思う。
 こんなものに、なんで孫が夢中になるのか? なぜこれほどまでにせがむのか?
 首を傾げる。
 次いで、値段を見て驚愕。
 一本あたりの単価が5千円、4千円という価格帯である。
 しかも、これを「遊ぶ」ためには「ファミコン本体」とかいうさらにお高いものを別に揃えなければいけないのだ。
 これ単体では、「遊べない」のである。これだけ持ってても全く意味がないのだ。

 殴(く)らすぞ。

 博多から孫の顔を楽しみにして、遠路はるばる上京してきたお爺ちゃんは内心エキサイトした。生粋の博多っ子の気質上、どうにもアグレッシブ無比なのである。
 なんてお求め辛い価格だ。グリコか森永系のチョコレートスナック菓子くらいの箱に。ヘタな超合金ロボより高くつくときた。
 痛い。買ってあげる気、速効減退。
 チョロQとかプラレールとか、レゴブロックとか、ガンプラとか・・・お値段はそこまで高くなかったはずだ。
 しかもそういう関係はいかにも「オモチャ」って感じで、出資者として「買いごたえ」満点。大人も見てて微笑ましく、楽しくなる。
 お爺ちゃんお婆ちゃんのカルチャーショックは続く。
 回りを見る。ファミコンカセットが陳列されてあるガラスケースの周りには、目をランランを輝かせた子供達が鈴なり。他の玩具が並んでいる所とは違う、一種異様な熱気と活気がある。
 しかもその「カセット」なる代物は飛ぶようにさばかれていくではないか。

 なしてか。
 これは一体どげんしたことですか?

 武田鉄也の20年後を想像できそうなルックスの博多んもんのお爺ちゃんは、ジェネレーション・ギャップに当惑する。
 一方、苦悩するお爺ちゃんとは対照的に天然系癒し系のお婆ちゃんはほけーっと嬉しそうに子供たちを見ている。
 お爺ちゃんはなおも沈思黙考する。そしてガンプラが積まれてある一角に視線を投げかけ、思う。

 なしにザクのプラモじゃいけんとかね?

 孫の影響でようやく最近ゲルググとザクの区別がつくようになった自称「モビルスーツフリーク」のお爺ちゃんだった。
 そして、孫の熱意とその愛しさに屈服し、お爺ちゃんお婆ちゃんは財布の紐を解く事になるのでした。

 なあに、孫が喜ぶんやったら何でんよかたい・・・。

 とまあ、こんな具合である。
 しかし、それはファミコン「カセット」のROMに秘められた、計り知れない能力を知らないがゆえだった。
 見た目、たしかにそっけない。玩具としての鑑賞的価値、あまりなし。
 しかし、こいつは、まぎれもなく「魔法の箱」だった。ご存じの通り、こいつは、とんでもない離れ業をやってのけるのだ。
 そう。
 カセット一本一本の中には、他の玩具では体験できないような「夢と冒険の世界」が広がっていたのだ!!
 カセットは毎月、夥しい数がリリースされていた。それぞれのゲームに、それぞれの世界が構築され、子供たちに用意されていた。つまり、「夢と冒険の世界」は無限大。果てしない広がり。
 その芸当、その面白さは、ぬいぐるみや積み木とかがが逆立ちしたって真似できやしないものだった。
 子供たちは、新しい「遊び相手」を手に入れていたのだ。
 やがて、それは世代を越えた娯楽へと成長していく事になる。

 俺は故郷に戻ってきた心境だ。
 鮭は生まれいでた川の匂いを求め、大海から遡上して戻ってくる。
 俺は鮭じゃないがな。
 今こうしてファミコンを手にすると、当時の記憶が蘇ってきやがる。

 それは、ファミコン狂時代。

 俺のお気に入りのゲーム、マイ・フェイバリット・シットをここで挙げる事も考えたが、やはりやめよう。そんな事は重要じゃない。
 俺は、この感動を伝えたいだけなんだ。
 だからこその突っ走りの力業の文章なのだ。
 いや、やっぱり一本ぐらい挙げとこう。嗜好がわかるだろうから。

 バンゲリング・ベイ。
 以上。

 悪名高いものだ。だが、近年再評価されているものでもある。当時のファミコン創世期のユーザーには難解過ぎ、その深みが理解されなかったのだと。生まれて来る時代を間違えたのさ、と。
 元来のつむじ曲がりから、俺はこれが好きだった。
 さてファミコンだが、インターネットでなにがなし調べてみると、現在のファミコン愛好家というものは結構沢山いるのを知った。
 実際、サーチエンジンで検索すりゃその手のファミコン賛美サイトが大量ヒット。この内容はいろいろだが、なかには特筆すべきコアなものもあった。かなりの時間閲覧させていただきました。
 いいぞ。お前らの愛を感じるぞ。やはり、愛し合わなければ、な。
 ファミコンを愛し、永劫にその栄光と伝説と面白さを語り継ごう(あるいはレトロ指向)という同胞は、日本全国津々浦々ごまんといるのだ。
 これはひとつの信仰であり、ひとつのムーブメントであり、ひとつのカルチャーなのではないか。
 俺はほんのその中の一員に過ぎない。希少種ではないのだ。
 そこで、提案したい。

 ここにある言葉がある。

 「オールド・スクール」

 今流行りのヒップホップ文化のスラング。その意味なす所は「古いもの」だ。いや、もっと正確に言うと「古き良きもの」だ。
 DJとか、ラッパーとか、クラバーとか、そういう手合いの人種がよく使う。
 古いレコード、古き良きレスペクトすべき名曲をそう呼んでいるらしい。
 使われ方はそれだけにとどまらず、ヒップホップ界ではよく「新しい」「古い」という新旧の区別化の手段としても用いられている。
 反対は当然、「ニュー・スクール」だ。新世代、次世代、、新しいもの、というわけだ。

 で、ファミコンの話に戻るが。
 ファミコン愛好家、ファミコン・フリーク・・・ファミコンを愛する人々をそんなふうに呼んでも別段問題はなかろう。
 しかし、もっとクールでファンキー無比な呼び方はどうだ。
 今風に、ベリ格好良く。
 そいで、ファミコンマニアな人々。
 この手の嗜好に偏っている人種を「オールド・スクーラー」と呼ぶ事を提案したい。
 セガマークIIIの血族、スーパーカセットビジョン、スーファミ、ぴゅう太もこの範疇に入れて良かろう。
 反対は、「ニュー・スクーラー」だ。
 これはプレステ以降のマシン。その最右翼は、某X箱とプレステ2だ。
 いいんじゃないっすか? 結構。
 マックとかでダベり中に、
 「あ、俺・・・今日気分的にオールドって感じ。」
 「ああ、お前のそれってなんかオールドっぽくねえ?」
 「自分、ニュー・スクーラーっすから。オールドには全然ノー興味なんすよ。」
 てな具合に使いこなせばなんか今風。若者っぽい。ちょいとヒップポップ感も加味されて凄く渋い感じでいいじゃないですかお客さん。

 だめですか?


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