第10回
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■ 2001年、普通の旅

 今年もぼちぼち終わりを告げようとしている。
 12月だ。気が付けば。しかも中旬。
 ちょっと前までここ福岡は暖かかった。
 へっ、大した事ねえぜ。こんなんじゃこたえねえぜ、なあおっさんよ。とばかりにシャドーボクシングをしながら矢吹丈モードで粋がっていたのも今は昔。

 なんだ、ふつーに寒いです。ここ最近。

 この寒さはなんだ。あんまりだ、俺が何をしたというんだ。
 しんしんと冷える。冷蔵庫に放り込まれたような。
 女にふられた訳じゃない。そうとも、断じて意中のフィメールに袖にされた訳じゃない。財布の中がベリークールなのかといえば、さしてそいつはもとより別段気にもしていない。今更それがなんだってんだ。ますます冷え込んできた日本経済を我が事のように切実に憂れいているのかといえば、ノーともいえないにせよだが、今更なにをかいわんや・・・だ。
 違う、そうじゃない。そんな観念的な「寒さ」を言ってるわけじゃない。
 繰り返すが、実際問題俺はたまらなく寒いのだ。ごく単純に、寒いんだ。
 いよいよ冬将軍ってやつが本格的に地元福岡に大進撃してきたようだ。玄界灘から吹きすさぶ、世間を洗う寒い風(何か演歌っぽい)。
 その足音はほんのちょっと前からひたひたと耳には届いていたのだが、今こうして寒風吹きすさぶ冬の猛威の矢面に立たされてみると、目の前の現実ってやつに嫌というほど打ちのめされるのだ。
 北風が街中を吹き抜け、寒風に背中を丸める道行く人々が、「すわラストスパート」とばかりに師走の喧噪のただ中にある街を早足で行き交う。底冷えに身震いする。息を吐き出せば、呼気も白く凍り付く。何もかも、凍てついてきた。
 「ゴジラ」とか「放射能」、だとかいう埒もない児戯も今が旬。
 朝方にいつのまにやら降りてきた、貝柱のような霜を踏みしめてシャリシャリとした感触を楽しむのも今が旬(雪とか嫌というほど積もってる地域ではそれどころではあるまい。生か死か、というサバイバルを強いられる所もあろう)。
 凍結した路面、期せずしてコーナー流しっぱなしの四輪ドリフトをキめるなんていうサーカス運転をやらかすのも、今が旬。
 猫が「(たまに)天高く猫肥ゆる、冬」といわんばかりに冬肥えし、こたつに常駐するのも今が旬。
 観葉植物がなぜか暖房器具があるほうにすくすく伸びゆくのも、今が旬だ。
 魚介類が美味しいのも、そうだ。
 クリスマス気分、忘年会気分に浮かれる街を横目で見ながらコンビニにふらり。
 「肉まんひとつ頂戴な。え、あんまんしかないの? あ、マイセンも頂戴。」
 なんてトークが弾むのも、今が旬(はずんでねえよ)。
 
 早いものだ。
 
 寒い寒いとこの文面をみている方が腹が立つほど連呼して書いてきたが、つまり俺がいわんとする事はそれほど時が過ぎゆくのが早くなったという事だ。春も夏も秋もとうの昔に過ぎ去り、もうそんな時期になったという事だ。
 ここ最近というもの、季節が一巡する体感スピードが速くなってきたように思えてくる。
 これはあくまで主観的な話だ。
 歳を取った証拠だ、と人は言う。
 歳を取るという事は、自分の中にある時計の秒針が速くなるって事だ。
 という言葉が脳裏を過ぎる。
 今、作った。
 これと似たような事は誰でも口の端に乗せているだろう。さりながら、我ながら言い得て妙だ。
 人は変わっていく。不変ではあり得ない。成長するし、老いも来る。変化し続けるからこそ人なのだし、生き物なのだ。大事なものだって、何だって変わってゆく。当然、価値観や信念、自分主観のタイムスケールの尺も日々更新されていくのも詮無い話だ。
 ともあれ、この一年が早くも過ぎ去っていく。二度とは来ない、一度しかない、得難い一年。
 今から雑煮と紅白歌合戦に思いを馳せている至極平和な(呑気ともいう)俺は、この一年を果たして有意義に過ごしたのだろうか。
 そういえば、この「ふとん猫」も、もう早くも10回目。だらだら書いて来て、もう10回目。
 せっかくだからこれにかこつけて「10回記念」ってな感じで、今年2001年について私見をものしてみたい。


 あまり意識しなかったが、21世紀の頭、2001年だった。
 忘れてました。
 2001年。
 当然、マンキー野郎が骨を上にほうったら成層圏を突破、宇宙船に変形、っていうような事にはならなかった(あの映画です)。
 宇宙飛行士が木星かなんかに向かって宇宙航行し、その途上でエゴを持った春とか秋とかいうコンピューターが造反。知的な激バトルが宇宙船内という「密室」で繰り広げられ、最後は赤ん坊っぽいのとモノリスがうんぬんかんぬん、という事にはならなかった(最近くだんの映画を久しく見てないので記憶が曖昧、多少の間違いは許して)。
 2001年っていう響きはグラマラスな感じだ。「未来」を感じさせる。
 輝かしい、科学技術華やかなりし未来、だ。
 多少なりとも、前述の映画のせいでもあるだろう。今となっては2001年はちょっと時代設定に難があったのかもしれない。いくらなんでも人類の科学技術の進歩をかいかぶりすぎではないか、というのは無情な突っ込みか。だが、せめて安全パイで2100年ぐらいにしとけばよかったのだ。そうしすりゃ火星ぐらいは行けててもおかしくないだろう。多分。
 だが実際はどうだ。この、2001年は。
 星間航行は可能になったか?
 せめて火星までの有人飛行はどうだ?
 だったら地球のごく周囲に限定しよう。地球のまわりに配置された大都市規模のスペースコロニーで、一般市民が地上同様の快適宇宙ライフを満喫しているか?
 じゃあ日常生活。
 エアカーは街をぶんぶん飛び回っているか?
 前衛芸術作品みたいな形をしたビルの群に、なんかチューブみたいのが巻き付いていて、その中にはひどく流線型の電車が無音で走ってるか?
 リニアモーターカーは本格的に普及したか?
 頭に電極さしてビデオ鑑賞できたか?
 パンキッシュな人造人間が脱走、それを追っかけ回すくたびれたロングコートのおっさんが酸性雨降りしきる街中でブラスターをぶっ放しているか?(いや、それは日常生活とは・・・)
 全部ノーだ。
 夢溢れる科学万能のレトロフューチャー的未来ライフはまだ当分先という事だ。
 俺は一向にかまわんが。今のままでも結構満足している。快適だ。まだまだとはいえ二足歩行ロボも出来たし、結構頑張っているじゃないか。立体映像だってちゃんと実用化されつつあるのだ。
 まあ欲を言うなら、いくら飲んでもビール腹にならないビールを発明してもらいたいぐらいだ。あと爪研ぎがあるにも関わらず柱に爪をたてる不肖猫を自動的に懲らしめるマシンだ。お遣いにいってくれる猫もいい。
 10年先に期待だ。
 まあそんな事はどうでもいい。
 陳腐な表現だが、2001年。「激動の一年」だったとも言える。もっと言うなら「今年も激動の一年だった」、というべきか。
 いろいろと憂鬱な事件、事故が頻発した。
 新世紀の希望あふれるスタートというより、先が思いやられるなあ、という感じである。
 あのニューヨークで起こった痛ましい一件もしかり、日本を席巻した狂牛病ショックもしかり。
 一昨日思いもよらなかった事が、今日確固たる現実となって世間を震撼させている・・・そんな感じだ。もっとも事件事故というものは元来そんなものなのだが、たった一つの出来事が波紋を呼び、世の中全体に想像だにもしなかった波及効果を及ぼしている。
 クレオパトラの鼻、だ。
 クレオパトラの鼻の高さ如何では今ある世界も変わっていただろうという、パスカルの言葉だ。つまりはどんな局地的な事でも、ささいな事でも、意外と大部分に影響を与えるという事なのだろう。日本狂牛病シンドロームも、たった一頭の牛から始まったではないか。しかも、まるっきり予想外の不意打ちという形で。
 世界って、意外に脆いものだ。人がかくあれかし、というようにはいかない。
 それに人間の想像力なんてたかが知れている。不測の事態なんていうものはいくらだって起こりうる。
 世界なんて、一つの出来事でかくも大きく変質するものなのだ。
 そう。そういう事を学ばせてもらった一年だったといえる。
 
 なんだ、意外と普通の結び。
 しかしまあ、もう暮れも押しも押し迫って、2001年もあとほんのちょっとで終わろうかというのに、大事件はそんなものは無関係でやってくる。
 さて、2002年を迎えるにあたり、それまでに何が起こり、それによって世界はどれほど変容しているものなのか。
 だが我々は駆け抜けるしかない、だろう。
 何が起ころうと、暮れのクソ忙しさに背中を押されてつつ、ゴールまで一気に最後のダッシュ。
 あともうすぐ。
 
 師匠も走れ、ラストスパート!!!
 
 うちの猫は相も変わらず、マイペース、だが。
 結論、今年2001年は、自分的にはふつーの一年でありました。
 では、ふかふか布団(猫付き)の寝正月に思いを馳せつつ。
 「グッド・スリーピング!!」よい布団を。
 
 猫。

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