第4回
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■ 妖精との再会

 子供の頃目の当たりにした、あの虫はなんだったろう。

 サイズはだいたい大人の人差し指大で、蜂みたいに羽根を小刻みにブンブン羽ばたかせながら、花畑に群成して優雅に回遊するその姿。
 印象的なのは、しっぽ。芋虫みたいな質感で黄緑色(に見えたに過ぎず、実際には毛が生えていたかも知れないが)。触るとぷにっとしていて柔らかそうだ。「黄緑の芋虫に羽根が生えたような」、そんな奴だ。
 頭部は、あまりよく思い描けないのだが、蜂にしては随分と馬面な顔だったような気がする。なんだか平和そうで、おっとりとした奴だったような気がする。その虫にしてみれば、別におっとりしていたつもりはないだろうが、とにかくそんなふうに感じたのだ。
 この話を友人にすると、十割確実に首を捻られ、八割眉に唾される。だが、俺は見たんだ!!
 べつに「私は見た! 幼少の頃に未知の蜂型怪生物クマーブン発見!!」とかいう、昔、テレビ朝日でやってた水曜スペシャルみたいな話をぶちあげようってわけじゃない。
 別にそれは怪生物じゃないのだろうし、専門家に聞けば、ピタリと当てられるのだろう。
ただ私が知らないだけなのだろう。これを読んで「お前それ○○だよ」と、明解にご教授される方もいるかもしれない。
 もうひとつ。私が正確に記憶していないのかもしれない。私の記憶違いから、そいつは本来の姿を捻じ曲げられ、ありもしない怪生物に変容したのかも知れない。ならば、もととなった虫とはなんだろう?
 いずれにしても私の無知さゆえ、なのだが、とにかくこいつは私の中で正体不明なのだ。

 私は小学生の頃、春になると自宅の前の花壇に飛来してくる、この「変」な虫が好きだった。
 当時の私は子供心に、持っている知識を精一杯引っ張り出して「ああ、これが熊ん蜂っていうんだな」と、適当に見当をつけて納得したものだ。本当に適当な奴だ。そう思ったのは子供ゆえの浅はかさで、別段確たる根拠を拠り所にしたわけじゃない。実際違っていたのだ。
 「クマン」という、ま行主体の間延びした語感が、なんだかそのおっとりとした虫にぴったりだと思ったのだ。ブンブンいわせながら花壇をホバリングする姿は紛れもなく蜂系の飛び方だと思ったから、蜂には違いないと少なくとも思っていた。
 だが、実際の熊ん蜂という奴は、凶暴無比の殺人スズメバチという事実にそう時間を置かず突き当たった。見た目からして全然違う。こんな黄緑芋虫蜂とは似ても似つかない奴なのだ。
とにかく正体不明なのだ。
 級友を家に招いてこの「蜂」を見せると、みんな気味悪がって我先に逃げ出した。大きさが大きさだし、色が色なので刺されでもしたらただ事では済まないと思ったかも知れない。それがたくさん、だ。何事も見た目で判断してはいけないが、毒は持っていそうななりだ。
 結局、小学生間の意見交換では知識不足の観は否めず、正体はわからず。「まあどうでもいいや」という感じである。
 今の年齢になって冗談交じり、昔話がてらに誰かに相談してみると、「何それ」と相手にされない。皆さん、そんな生きモンなんざいないよ、と異口同音におっしゃる。子供によくある、勘違いを今だ引っ張っているのだと、それで終わり。
 あるときなどは「もしかして家の近くに核関連施設らしい建物とか、なかったですか?」と小馬鹿にされたもんだ。じゃああれは放射能で突然変異したミュータントとでもゆーんかい。
 要するに、そんな生物なんて存在しやしない。これが、私の目撃談を聞いた皆さんのおしなべた感想だ。私の言い方が悪かったのかもしれないし、長い年月を経て記憶が曖昧になった感は否めない、だろう。当時私は小さかったので、スケール感の違いからその虫がえらく巨大に見えたのでは? という意見もあった。子供の頃はなんでも大きくみえるのだ。
 あの時、一匹捕まえて学校の先生にでも見せれば良かったのかもしれないが、こいつ(虫)を怒らせたもしもの場合を想像したら、そうもできなかった。あのデカさであの色だ。やっぱり怖かった。
 でも私は花園を優雅に飛び回るこいつらが大好きだったので、正直そっとしておきたかったのかもしれない。
 あんなに楽しそう(いや、そう思っているかどうか・・・)なのに、邪魔するなんて可愛そう、と思ったのかもしれない。完全に感情移入してしまっていたのだろう。一度感情移入すると、どこまでもその対象を美化したくなるものだ。
 それぐらい、花壇で遊ぶあの見知らぬ虫たちは、当時の私に夢を与えてくれたのだ。
 私の目には、彼らは妖精みたいに映っていたのかもしれない。
 小学校卒業間際、私たち家族は引越ししてその家を離れる事になった。あの虫たちとお別れするときがきたのだ。
 寂しかった。私はあの場所が大好きだったし、あの家からの景色の眺め、あの家から飛び出せばすぐそこの広大な空き地もお気に入りだった。森や竹林にも囲まれて、秘密基地を建造したり、虫を取ったりして遊んだ。池もあった。山の手の住宅地はいりくんでて、坂がたくさんあって自転車があればジェットコースター感覚で楽しめる(危ないけど)。それ自体子供にしてみれば大きなおもちゃ箱みたいなものだった。
 それでなくても、住み慣れた家を離れるというのは、子供にとってどうしようもない寂寥感を感じさせるものだ。友達だって変わるのだから(私の場合、それほど距離は離れていなかったが)。
 寂しさを構成する要素の一つが、あの虫の事だった。もうあいつらと、あの変な蜂と遊べない・・・(見てただけだけど)。なんだか悲しくなった。
 時を刻むというのは、それ自体いろんなものをひとつひとつ落っことしながら生きていく、という当たり前の事をあの時実感したのだ。人生には捨てるものもある。大事なもの全てを後生大事に持っていけない。あきらめねばいけない時もあるという事だ。しかしそう思ったのはそれが最初でもなかったし、最後でもなかった。
 以後、とんとこの黄緑色芋虫系しっぽ巨大馬面蜂と会っていない。そんな記憶が、ない。
 だからイメージは多少助長され、おかしな方向へ歪んでいるのかも知れない。世間でごく知られているある種の虫が、私の無知さで誤って認識された虫が、偏った想像と憧れで突然変異して、なんとも奇妙な生物へと変貌したのかもしれない。あの虫は私の中の、「空想上の生き物」なのかも知れない。
 ジュゴンだって人魚に間違われたではないか。エイの奇妙な形態から「シー・ビショップ」という嵐を起こす海坊主が創作されたというではないか。
 でも、それでいいと、私は思う。
 勘違いでもいい。記憶違いでもいい。ただ知らなかっただけで別段珍しい虫じゃなくてもいい。どっちに転がってもいい。あの虫は少なくとも、私に驚きと、夢と、憧れをくれたんだから。
 正体なんて問題じゃないのだ。それが私のこの年齢になっての結論だった。だから私はこの虫の正体をしゃかりきになって突き止めようとは思わない。いや、逆にそれはとてももったいない事のように思えるのだ。
 夢がまたひとつ、なくなってしまうようで。
 ここでせっかく引き合いに出したその昆虫の正体を究明し、この場で明らかにしてこそこの話のオチがつこうというものだが、やっぱりやめた。
 じつは最近、私はあの虫に会った。
 
 ある春の昼下がり、キャラメルポットの事務所での事だ。そこは瀟洒で都会的なビルの一室にあり、文句なく眺めも日当たりもいい。その時も、心地よい陽光が窓越しに降り注いでいた。
 パソコンとにらめっこしていた私がふと顔を上げると、聞き覚えのある奇妙な羽音と共に、あの虫が窓際にやってきたのだ。一匹だけ。
 私は驚いた。あっと内心声をあげた。一瞬その事が現実に起こっている事なのかどうか、信じられなかった。そして予期せぬ再会に、心中快哉を叫んだ。
 間違いない、あいつだ。
 そいつはブンブンいわせながら機嫌よさげに窓を叩くようにしてダンスをひと舞いしだした。
 陽光を背に、軽やかな空中ダンス。
 昔、子供の頃、見たままの姿だった。
 あの時のままの姿で、そこにいてくれた。
 よかった。やっぱりいたんだ。記憶違いでもなかった。私はなんだかほっとした気分になった。
 それにしても何年ぶりだろう。いや、そんな事はどうでもいい。とにかく私は彼と、本当に久しぶりに再会したのだ。
 ひさびさに挨拶にきたのかな、と、私は思ってみたかった。思うのは勝手だ。
 わかっている。私中心で地球が回っているわけじゃない。その虫がそこに来たのは単なる気まぐれに過ぎないだろう。虫がいちいち人様に挨拶に来るなんて、そんな事は絶対にありえない。でも、そう思ってみるのは悪いことじゃないでしょ? 
 どうあれ、あの虫は私を楽しませてくれたのだ。今も昔も、いつだって。
 しばらく窓のところで舞い踊ると、あの虫は体を翻して潮風の中をいずこかへ飛び去っていった。このビルは海に近いのだ。
 また美化してると言われるだろうが、久々に見るあの虫は、妖精のようだった。
 
 妖精にまた、会ったんだ。

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