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第12回 | |
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| ■ 武士と入院(3) 経過観察室にはどれくらいいたのだろうか。あまりに心地よかったのでまるで見当がつかない。そのうち例の中央手術室の総合受付のようなところで、もとのベッドに乗り移る。あー、終わったのだと感じた。病室に運ばれる。天井を見ているだけで目がまわりそうだったので、目を閉じていた。 「お昼ごはんはどうされますか?」 これは辛い質問だ。とにかく何も食べていない状態で、ありったけの力を使ったので、食べたほうが回復がはやいのはわかっている。だが起き上がれないのだ。空腹より疲れが勝ってしまうとはなんと危険なことだろう。夕食までに十分休んで、夕食という次なるたたかいに備えようと思ったのだ。 手術直後からは1時間おきに、鼻からあふれでてくる血を止めている綿球と、血がそれを突破した際に防波堤となるガーゼを交換しにくる。こうして2重に守りながらも、やつは重力に従い、時折外側のガーゼまで突破してきた。 テレビも本も読めない。頬が枕にあたるだけで痛いのだから、上を向いて耐えつづけた。寝返りに自主的に制約をかけるのは大変つらい。手術が終わればあとはよくなるだけ。そう信じていたが、やがて麻酔がきれてきて、ついに考えの甘さを痛感する。風邪の時の頭痛の何十倍ものズキズキ感がおそいかかる。動くと痛いから、動けない。今は何時だ。そろそろ午後6時、夕食が近づいてきているのではないか。このままでは、痛みでまた食べられないという最悪の事態になる。痛みをおさえて食事に備えなければ。とにかく僕のあたまは、メシを食うことで精神的に勝ちにいきたかった。これまで困難な課題が身にふりかかってきても、ぼくはメシさえ食えれば乗り切る自信があった。逆にいうとそれ以上は考えたことがあまりなかった。 「大雨の感と云う事あり。途中にて俄(にわか)雨に逢ひて、濡れじとて道を急ぎ走り、軒下などを通りても、濡るる事は替わらざるなり。初めより思ひはまりて濡るる時、心に苦しみなし、濡るる事は同じ。これ万づにわたる心得なり。」 手術後痛いのは最初からわかっていたはずだった。ひたすら覚悟が足りなかったのだ。手術に雨宿りできる軒下はない。 やがて痛みがひいてきた。かわりにものすごい違和感を鼻の奥に感じる。鼻の奥という実にあいまいで表現が難しい。表面だけを見ていると、鼻の奥というのは目の付け根のところだと普通は思うだろう。実際に匂いを感じる神経は、プールでうっかり逆さになったときにツーンとくるところ、つまり両眼の間のわずかな空間にある。しかし鼻は異常に立体的な構造物。奥歯の上のほう、目の裏側のほうにまで広がる謎の空間なのだ。 |
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夕食となる。メニューはなんであろうと実際のところ関係なかった。匂いはするはずもなく、口呼吸の為、口の中が極限まで乾いていたので味覚もほとんど麻痺、何を食べても同じだった。いつもなら10分で食べる量が、30分かかっても食べ終えられない。飲み込むことがこんなに辛いとは思わなかった。それは鼻をつまんで食べるのとも違う。鼻をつまんでいても、のみこむ瞬間に鼻の中から外に空気が抜ける。ガーゼでいっぱいになった鼻は、その空気さえとおらないので、飲み込むことが辛い作業になるのだ。しばらく食べたら呼吸を落ち着かせるために休憩し、また食べる。こうして一大イベントを終えた僕は、最後の力をふりしぼって歯をみがき、そのまま床に倒れた。 |
![]() これはある日の朝食 |
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鎮痛剤を数時間おきに飲みながらも、強烈な圧迫感のため眠ることはできない。目の裏側を圧迫すると涙が出るということも身をもってわかった。僕は看護婦と話すときも、夕食とたたかっている間も、用を足していても、横になっているときも、常に大泣き。望まない涙は勝手にでてきて頬を伝って耳に至る。朝起きたら、かわいて結晶化していたほどだ。ここで大泣きの新しい日本語表現として「涙が結晶化するほど泣ける」を提唱したい。 長い夜が明けると、待ちに待った診察の時間がやってきた。朝食との格闘も終え、病室をでて外来へ向かう。今井医師はガーゼを6枚抜いたところで手をとめた。「今日はこれぐらいにしておこう。出血してもあれだし。」 |
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| かなり楽になってくると、また違うものが気になってきた。左に埋まっている針、点滴だ。こいつのせいでまだ自由に寝返りがうてない。ひっきりなしに落ちてくる止血剤と抗生物質。たぶん、そうとう動いてもずれたりしないように固定されているのだろうが、手術前からずっと刺しっぱなしの針だ。針がささっているという事実の認識が頭にあるだけで、左手を自由に動かすことができなくなる。 だが、4日目の夜には、ついに点滴の針が抜かれるときがきた。この時のあまりにうれしい気持ちをなんと言い表せばいいだろうか。人間は直接的な痛みによる苦痛よりも、別に点滴の針が刺さりっぱなしでも痛くはないが、それのせいで行動が制約されるという間接的苦痛がなにより辛いのだ。 明くる朝には、最後まで残っていたガーゼを摘出。僕は毎朝、医師の部屋の前で登場を待つ。入院患者の診察は外来がはじまる前。毎日最初の患者は僕なのだ。毎朝の処置のはじまりには、麻酔薬にひたしたガーゼをつめ、5分ほど置いて取り出す作業がある。これによって、痛みがかなり減るのだ。だがこの5分間の間、医師は何をしているか。院内ネットワークにログインしてメールを書いたり、ニュースのサイトを見たり、小指をたててお茶をすすったりしている。 |
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