第11回
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26
■ 武士と入院(2)

 入院前日、いつもの牛丼を食べに行く。築地場外市場、牛丼の「大森」だ。
 いやー、入院するんですよ、というと、「今日はお見舞いだから、それサービスしときますよ。」と、こないだ退院されたばかりのご主人。うれしいではないか。ご主人も元気そうでなによりだ。

 翌朝つまり入院当日、荷物を持って普段の通勤とまったく同じ駅で降りる。まっすぐ病院に向かう。会社と病院はおどろくほど近いのだ。
 入院しても手術するまでは、いたって健康なので、不思議な感じだ。病室は全室個室なので、一見ホテルのようだがベッドが違う。この左右が檻のようになっていて移動できるベッドをみるとやはり不安になる。病室に案内されて、すぐ診察室へ。まだ普段着なので、いつもの外来と変わらない。外来は、手前に看護婦さんのいる部屋があって、その奥に医師のいる部屋が個室でならぶ。その手前の看護婦の部屋に入るなり、2本の注射器が目に入る。あー、今日はなにもないと思ったのに。明日大量に使用する麻酔と抗生物質を少量腕に注射。アレルギー反応をみる。問題なし。続いて手術の説明へ。いい話はひとつもない。途中で痛くなったらいってくれ、ということだ。途中で痛くなんかなりたくない。今井医師には「僕は(手術に関して)そんなに心配していない。」といわれた。

 

 病室に戻ると、体温はかって、血圧。まぁ余裕ですな。いくらでもやっていただきたい。あと、ネームバンドをつけられた。カードも身分証明もなくなった今、これだけが患者を識別する唯一のタグとなる。手術も点滴もあらゆるシーンで本人確認が行われるのだ。
 術前術後の注意点など。手術前は断食。手術用の服にきがえてベットごと運ばれ、麻酔うたれて手術。終わったら点滴しながらもどる。3日間はシャワーもだめですぞと。めちゃ血がでるらしい。それからは毎朝外来までいって診察を受けるとか。これ以上のやわらかなおどしはないですな。少したって昼飯が運ばれてきたので食べる。結構うまいんじゃないか。でもなんで牛乳なんだろな。揚げだし豆腐なのに。カルシウムを摂れをいうメッセージか。

 
 

 夜ねむれないとかなわないなと思って、眠いのを必死にこらえて、起きていると夕食が運ばれてくる。これで手術後まで断食となると思うと、白ごはんでさえ、食べてしまいたいほどいとおしい。あっという間に食べ終わると、あとはシャワーを浴びて寝るだけだ。

「大難大変に遭うても動転せぬといふは、まだしきなり。大変に遭うては歓喜踊躍して勇み進むべきなり。一関越えたる所なり。「水増されば船高し。」といふが如し。」

 大変なことになったら、むしろよろこび勇んで突き進めというのが武士道だ。

 なるほどそうか、と思って寝、起きたら朝6時だった。いい朝だ。なんて僕という人間はおめでたいやつだろう。こういうときは恐怖と不安から眠れないのではないかと思っていた。その後の時間、手術までは看護婦ペースで進む。手術のきっかり1時間前にさらさらの粉末を少量の水で飲み込む。精神状態を安定させる薬のようだ。キースジャレットのケルンコンサートを聞いていると時間になった。手術用の服に着替える。パンツまで脱がされて、ふんどしみたいなものをはかされる。足にはでかい足袋のようなものをはかされる。薬が効いてきてぼーっとしているので、看護婦にやられるまま。もうなんでもしてくれという感じになってくる。病室のドアが全開になり、僕は寝たままベッドごと運ばれる。まだ全然元気なのにベッドごと運ばれるのは変な感じだ。天井を追いかけながら、エレベーターの脇を通るともう中央手術室だ。前日歩いてまわったので、そのドアのむこうに中央手術室があって、隣には救急救命センターがあるということは知っていたが、当然向こう側がどうなっているかはまったくわからない。

 ドアが開くとそこはまだ守衛室みたいなところだった。狭い部屋だ。看護婦から手術室の看護婦に、人間1人とそれに付属する書類を渡す儀式がある。僕に名前を言わせて照合、看護婦に患者番号を確認、確かに本人そのものが手術対象としてそこにいることを何回も確認している。そこで僕はより小さいベッドに乗り移った。
 手前のドアが閉まり、いよいよ奥のドアがあいて、さらに奥へつきすすんでいる。左にまがって右に曲がって、目がまわりそうだ。すると突如、あのライトが視界にはいってきたのだ。手術用のでかいライトが。
 そこで今度は手術用の椅子に乗り移る。結構広い部屋だが、真ん中に僕が1人だけ椅子に座っている。僕はめがねなしにはよく見えないので、まわりの状況はよくわからないが、なんとなく機械がいっぱいありそうだというのがわかる。詳細な器具とか見えないのは幸いだったかもしれない。さぞかしおそろしい形をした凶器のような器具がならんでいたことだろうと思う。
 看護婦は腕やら胸になにかつけはじめた。手術室といえばこの音、ピッピッピッという規則的な音が響きはじめる。まさかこの当事者になるとはなあ。感慨深いものがある。続いて今井医師の登場、助手のおばちゃんも横にあらわれた。看護婦さんは今井医師にあれこれ注意されているが、おばちゃんとは息があっているところを見ると、もうずいぶんながいこと2人で手術をこなしてきたのだろう。なにやら安心してしまう。
 点滴の針がさされる。あいかわらず針というのは痛いな。針の上から透明のテープがまかれる。そうだな、こういうのはしっかり固定してもらわないとな。手術室には意外にもクラシック音楽が流れていた。が、医師は看護婦にボリュームを下げさせた。音が大きいのが気になったらしい。最近では、患者の希望で手術中に好きな音楽をかけることもあるらしいが、気が散ってしょうがないと今井医師は話していた。いやもう、それはぜひ集中していただかないと。事実、すぐに音楽どころではなくなる。

 椅子はややリクライニング気味で、胸やら肩には青い布がかけられる。そして顔には真ん中にだけ穴のあいた布が。急に視界が狭まり、今井医師の顔しか見えなくなる。このあたりで緊張は極限状態に達し、脈拍も急激に上がるはずなのだが、あの白い粉末のせいでまだぼーっとしている。
 麻酔だ。最初はガーゼを麻酔液にひたしてそれで表面を麻痺させ、そこに注射で本格的に麻酔を打っていくという感じなのだ。実に手際がいいが、冷静に評価している余裕もやがてなくなっていく。なんといってもすべての薬や器具が鼻の穴を通過していくのが耐えられない。注射器の針がだんだん奥までささっていく。いててて。やめろー。「ちょっと我慢してね。」
 むむむ、敵も手ごわい。

 苦痛をともなう作業に人間は大きく2通りの対処をすると思う。どうせ痛いのだから我慢してさっと終わらせようという人と、じっくりちょっとずつ時間をかけて痛みの原因をとって完全に準備が整ってからことをはじめようという人。僕は前者、今井医師もきっと前者だ。

 「口で大きく息をしながら、ほら、楽しいことを考えて」
無茶なことをいう今井医師だった。
 次は「メス」。この言葉はあらゆる不安材料がとりのぞかれたとしても依然おそろしいものとして聞こえるだろう。切られるのだ。あー、やや切られているところか、あー切られてるに違いない。
 つづいて今井医師は次々と道具の名前を口に出し、助手がそれを渡し、ゴリゴリ、ガリガリはじまった。気持ち悪くて違和感だらけだが、まだ痛くはない。完璧に麻酔が効いてきたようだ。続いて医師は器具で鼻の奥にあるものを何やらつかんで力任せに引っ張り出した。骨だ。僕の骨がひっぱられているに違いない。これはとてつもない破壊行為が行われているに違いない。あれだ。歯を抜かれるときに感じにそっくりだ。かなりの力で持っていかれる気がして、椅子に必死でへばりつく。目を後ろから持っていかれる感じ、奥歯を根元のほうから逆に引き抜かれる感じだ。頭の中でバリバリという破壊音だけが鳴り響く。せんべいを食べる100倍くらいの音がする。それは痛いと叫んでも、「痛いのは分かる」といいながら今井さんは手を休めようとはしない。これは凄いことになってきた。

 スポーツジムで、よし今日は毎時10キロで30分間走るぞ、と思って走っていたが20分たったところで、死ぬほど辛くなってきてもうやめたいと何度も思うときに似ている。だがベルトは動きつづけ、そのうち辛いのかなんなのかわからなくなって30分が終わる。今は痛いと訴えても、「痛いのは分かる」と言われたのでどうしていいのかわからずバキバキやられているのだ。そのうち何かわからなくなってきて、いつの間にか終わるのだろうか。武士ならこのシーンで果たして喜び勇めるのか。と思っていたら、冷や汗がものすごい勢いででてきて、急激に血圧が低下した、気を失いそうなのだ。
 僕は腹が減っていることを思い出した。そう、こんな体力勝負なのに断食なのだ。築地から東新宿に打ち合わせにいって、何も食べれないまま帰りの電車で腹をすかしていたときを思い出す。あの日はキッチンスズキでカジキ生姜焼き定食をたらふく食べて回復した。今、カジキを食わせてくれれば持ちこたえる自信はある。しかし
状況が状況だけにカジキは食えない。今は血液に入ってくるブドウ糖だけが頼りだ。うまい!最高!ブドウ糖とか思いながら勝手に自分を励ます。

 さて、それを見た医師の対応ははやかった。椅子を倒して、助手がうちわで顔を仰ぎ始める。「ちょっと休憩したほうがいいか」。
 わかってくれて僕は本当にうれしい。
 医師は椅子に腰掛け休憩している。「局所(麻酔)はゆっくりやれるからいいよねー。全身麻酔だと余裕ないからね、腰が痛くなるんだよね。」と医師は休憩しながら助手と話しながら笑っている。なるほど、全身麻酔だと麻酔が切れるまでの時間が最初から決まっているので、まさに時間との勝負というわけか。大変な職業だ。

 僕は少し楽になったので、自ら「やりましょう」と言って続きがはじまった。とにかくはやく、この痛いと訴えても「痛いのは分かる」と返ってくるという半端な状態が終わって欲しかった。手術前、11時には終わるでしょうと言っていた医師も、「11時すぎたけど、もうちょっとね」といってなおもバキバキやっている。「君はまだやりやすいほうだよ。ひどい人は最初にガーゼ入れただけで嫌がるからね。」とかなんとか言いながら。もしそんなやつがいたとすると、このバキバキに果たして耐えられるのだろうかとも思った。

 そして、突然だった。地獄の時間が終わった。もう意識はふらふらだ。手術室から運ばれて、経過観察室へ。この何も衝撃のない、ただ静かにながれる時間が心地よかった。永遠の平和を感じた。終わったのだ。
 意識を失うことが意識的にできない以上、手術は途中で中断されないし、やみくもに痛がったところで手術は長引くばかりだろう。なるようにしかならない。永遠と思われる時間も、忍耐強く待てばいくか終わりが来るものだ。

 だがそのときは、その後さらに辛い時間が訪れることは予想もできなかったのだ。(つづく)

   

<- ひとくち感想はこちらからどうぞ



Copyright (C) 2001-2005 CARAMELPOT.COM