第4回
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13

■ 裸と裸、男と男

『土俵祭』
昭和19年
モノクロ
1時間18分

主演:片岡千恵蔵

「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」
手負いの貴乃花優勝と小泉首相の絶叫スピーチで注目を集めた大相撲夏場所。とはいえ、相変わらずの米大リーグ、サッカー人気でピンチ感漂う現在の相撲界なのだが、時代をさかのぼって明治初期。同じく相撲界は危機に直面していた。ポンパドールが花咲き/シルクハットが揺れるわ((c)タイムマシーンにお願い)の華やかな西洋式夜会でにぎわう鹿鳴館から、相撲は野蛮、裸の手踊りだ、などと非難の浴びせたおしに合い、“相撲全廃の火の手”があがっていた。映画『土俵祭』は、そんな時代の力士たちの話である。例によって、私好みの男気映画。

「相撲をもっと面白く見せなきゃならねぇ。オモシロおかしく勝ってみせるよりほかにねぇ」と、相撲界の危機脱出について自分なりの考えをめぐらすのは、黒雲部屋の看板力士・大綱。モットーは「勝ちゃいいんだ、勝ちゃ」「強え奴が勝つんだ」。土俵を下りたプライベートな素顔は、乱暴者でスモーカー、という小川と桜庭と誰かをミックスしたような相撲レスラー。面白くないことがあると、ことごとく考えの合わない弟子の富士ノ山(片岡千恵蔵)を殴ってうっぷんをはらす一面も持つ。悪の組織っぽい名前の黒雲部屋だが、親方はいたって常識人。大綱の思想、言動に不満はあるが、なにぶん看板力士なので遠慮している。娘が一人。名は、おきよ。

大綱のライバルは玉ケ崎。モットーは「強いばかりが能じゃねえ」。白玉部屋所属。白玉という名前が醸し出す弱々しい雰囲気同様、この部屋の親方は病弱で、立ち上がるにもせき込むといった具合なのであった。そして、白玉という名前が醸し出す小ぶりな雰囲気同様、この部屋は小所帯なので、巡業には黒雲部屋に同行させてもらうというありさまなのであった。


あるとき、寝ずに親方を看病して部屋に戻った玉ケ崎が、休む間もなく若い衆に稽古をつけている時に足を負傷。と同時に親方急死の報がもたらされる。玉ケ崎は現役を引退、白玉部屋の新しい親方となった。その玉ケ崎、「自分が土俵に立てなくなったので、せめて自分の意志を継いで立派に土俵で闘ってくれる弟子が一人欲しい」と、有望な力士のスカウトに乗り出す。その力士とは、黒雲部屋の富士ノ山だった。一本気で「意地っ張り、かんしゃくもち」、しかし素直な富士ノ山は良い力士になると見込んでのこと。実は同じ思いでいる黒雲部屋の親方なのだが、渋るものの最後には了承。富士ノ山は、白玉部屋へと移籍する。それから4年。番付をかけあがってきた富士ノ山が、ついに、元兄弟子の大綱と対決…という話。
とにかく、マニアには垂涎の男気シーンの連続。必見シーンを挙げる。

その1)玉ケ崎の浴衣放り投げ
ホームランを打ったからってそんなにバットを放り投げるもんじゃないと米大リーグから指摘された新庄もビックリの玉ケ崎。彼が浴衣を脱ぎ捨て、放り投げるシーンは最高に男らしい。いつ何時でも浴衣をバッと脱げば必ずまわし一丁、という臨戦態勢も同様である。

その2)富士ノ山の男泣き
何かにつけ悔し涙が出ちゃう富士ノ山。巡業中、大綱の機嫌をそこねたせいで、稽古をつけてもらえなくなったのが悔しくて、海岸の砂浜にてまた泣く。そこに現われたのが、部屋は違うが巡業に同行している玉ケ崎。「稽古のことなら心配はいらねえ、俺が胸を貸してやる。明日からとはいわねえ、今すぐどんとこい」と、浴衣を脱げばもちろんまわし姿の玉ケ崎。感激の涙にむせびながら、突っ張る富士ノ山。玉ケ崎に軽く倒され、砂浜につっぷし肩をふるわせてまた泣く。まげ&まわし姿で。

その3)富士ノ山の飛び込み
大綱との取り組み前夜。富士ノ山は、大綱のタニマチから呼び出され舟の上にいる。タニマチは札束を差し出し八百長をふっかけてくる。大綱は大関昇進を控えているので負けてくれ、と。「いやだ」。すっくと立ち上がった富士ノ山。羽織を脱いで、いきなり川に飛び込み泳いで帰る。これが男気でなくてなんであろーか。

その4)富士ノ山のゲンかつぎ
元いた黒雲部屋のお嬢さん、きよから、しこ名にちなんで富士山の絵をもらっていた富士ノ山。その絵が土俵にあがるときのお守りだ。しめこみの中にはさみ込んでいるというのだから、なんちゅう男らしさ。
もうひとつ、重要な男気シーンがある。「勝ちゃいいんだ」という考えの大綱を、黒雲親方が諭して言うセリフ。
「なぜすっぱだかで土俵にあがるか考えたことあるかい。裸は清浄無垢、無我無心だ」
「裸と裸。男と男。魂と魂。土俵に生きる俺達だけの知る生きがいをしみじみ味わってみねぇかい」

裸と裸。男と男。でなくとも、何かを極めた者同士が通じ合う領域というのは、端から見ると聖域だ。そんな場面に出くわして、自分も何とかして加わりたいような、冒したくないような、不思議な気持ちで眺めるのが、私は結構好きだ。

後から気付いたのだけれど、脚本は黒澤明です。
そして蛇足ですが、相撲を見ている人は知っていると思うのだけれど、化粧まわしをした力士が土俵上で丸くなってまわしをちょっと持ち上げるシーンがある。手を打って、片手をちょっとあげて、化粧まわしをちょっと持ち上げて、両手をちょっとあげる。あれが私は好きなのだけれど、このやり方が映画の中では違うのだ。手のあげかたが。なぜなんだ!?

<- ひとくち感想はこちらからどうぞ



Copyright (C) 2001-2005 CARAMELPOT.COM